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将来に対する漠然とした不安

ほかの人は思ったよりたくさんの悩みや困難を抱えて生きている。

当たり前のことなのだけれど、いつの間にか意識せずに日々を過ごしていた。

ほかの人にすぐ敵意を向けてしまうのは、この「当たり前」を軽視しすぎていたからかもしれない。

 

思えば、インドに行って癌になって、死生観が大きく変わってから、利己的に、短期的に自己幸福を追求するようになっていた。

いつ死ぬかわからない世界で、他人の悩みや困難に目を向けて手を差し伸べている時間があったら、自己の幸福追求に時間を使うべきだ。

癌が完治してからも、そういう価値観に囚われていた。

 

ここ最近、秋葉原のメイドバー(ガールズバー)によく行くようになった。

常連さん、新規さんが半分ずつくらいの、メイドバーと言いながら中身がガールズバーなギャップに戸惑う感じのお店だ。

なれると場末のスナックのような雰囲気で、女性と話しながらお酒を飲むにはちょうど良い場所だ。

カウンターが2列で他のお客さんと向かい合形で並んでいて、接客のメイドさんは2列のカウンターの真ん中で給仕を行う。

秋葉原のこういう類のお店ではありがちな、お客さん同士の会話を主にもっていくような設計のお店だ。

だったら居酒屋で相席でもすればいいという感じもあるが、メイドさんが上手に話題を頭出ししてくれて、初対面の人とでも割と突っ込んだ話ができる。

また、秋葉原という土地柄、何かしら闇を抱えていたり、人生がうまくいっていなさそうな人が流れ着いてくるのもあるだろう。

アニメやゲームの話ではなくて、うまくいっていないこと、抱えている困難の話をカウンター越しに、他のお客さんと共有しあうような会になったことが何回かあった。

 

そんな初めて会う相手の悩みや困難を聞いている中で、自分の想像もしないような悩みや困難を共有してくれる人もいた。

昨日はその中でもかなり真剣でデリケートなテーマの困難を抱える人がいて、お客さんとメイドさん総勢5人くらいで1、2時間議論しあった。

自分は想像もしない困難だったので、聞いてばかりだったが、自分の身にも起こりうる困難であったし、今まで考えていなかったことが愚かであったと思うくらいのテーマだった。

そして心底、その困難を自分で抱えていなくてよかったと思った。

 

でも、もしかしたら自分が稀で、多くの日本の人は大なり小なり悩みや困難を抱えていて、「将来に対する漠然とした不安」を抱いているのではないか。

あまり、アメリカやイギリスにいた時には感じなかった感触で、将来を考えたとしてももっと明るい考え方をすると思う。

インドでは将来を考えることがまず稀だろう。

日本は、年をとればとるほど経済や社会に悩まされ、困難を抱えさせられる。

そんな鬱屈とした心境に陥りやすい環境だからこそ、秋葉原のメイド喫茶やアニメ専門店のような、刹那的な娯楽が独自に発展するのだろう。

インドと違うのかはよくわからないが、日本は長期的な絶望感から起因する刹那的な快楽欲求としての娯楽の在り方があるのかもしれない。

でもそれは酒、たばこ、麻薬のような短期的快楽をもたらして長期的な中毒性をもたらし絶望へといざなう嗜好品とどう違うのだろう。

少なくとも自分には、昨日の議論がきっかけで同じだろうという考えが芽生えてしまった。

 

どうすれば「将来に対する漠然とした不安」を抱える人たちに根本的な解決を提案できるだろう。

保険などはその一手段ではあるが、掛け金という名の通り、罹患確率がものをいうギャンブルでもある。

安心を買っているようで、リスクに賭け事をしているという構造が実態だ。

日本には、不安の巣窟がたくさんある。人々を不安にさせることばかりが社会を覆っている。

日本の娯楽の在り方には、刹那的な快楽を満たすものだけではなく、長期の心の平穏をもたらす類の娯楽があってもよいのかもしれない。

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