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ドラゴンクエスト ユア・ストーリーの追加キャラクター

ドラゴンクエスト ユア・ストーリーの追加キャラクターは誰だったのだろう?考察してみます。

一番初めに思い浮かぶのは視聴者である自分(あなた)自身。技法としては、VRの体験であるならばすべてが一人称視点で描かれるのが自然だと思うのだけれど、あの映画を客観的視点で追っていたカメラが存在した(時間停止でも動いているカメラがあった)ということは、ゲームの表現技法的には視聴者になると思う。

あとはこの視聴者の位置づけなのだけれど、自分の中では2つの仮説がある。

1つは「監督の共犯者」、2つ目は「世界を守るアンチウィルス派としての客観者」。

1つ目の仮説の場合はかなりずるい。ドラゴンクエスト ユア・ストーリーはかなり評価が叩かれているし、監督批判が強い。でも、批判へのカウンターとして「監督視点でのカメラに視聴者が同調している」という構図を取られた場合、視聴した=監督と同じ視点で映画を見ている(作っている)となり、監督の共犯者となる。作品に関して文句を言おうが、見てしまった以上、監督と同じ立場だろう、少なくとも監督の作品を支援しているだろう、ということで批判者が逃げられなくなる。少なくとも批判しにくくもなり、論展開しずらくなるので、ストレスがたまる。これでネガティブな感情を抱く人も多いと思う。

 

2つ目はミルドラースに抗う、それでも世界を愛する人の立場。時間停止で動けているのは世界の創造者(=開発者orメタ視点で監督)か、VRのプレイヤーで、後者はない。なので世界の創造者の一員として、悪意ある開発者ではなく、アンチウィルス側の善の開発者の一員としてカメラ越しに世界を見ているパターン。これだと、スライムを応援してクライマックスでロトの剣を振りかざすところも力が入る感じになる。ちなみに自分はこの視点で1回目は見てました。(映画の序盤から、モンスターの出る順番や音楽にこれは「ドラクエVではなくて誰かの思い出のドラゴンクエストであるというヒントがたくさんあり、おばあさんの薬シーンでメタ環境が一回暴露されるので、あの時点で仮想世界というのがわかるようには一応なっている)この視点でみると、最後は「ああ世界を守れた、よかったよかった」で終われる。

 

ここまで書いて、改めてなぜ自分が映画を見終わった後に周りの反応に驚いていたのか気づく。多くの人は「監督の共犯者」視点を強要されたのだろう。

エンドクレジットをみて、自分は監督ではなく監修に注目した。音楽も脚本もスクエニのドラクエチームがしっかり入っている。つまり、「あのシーンであの音楽が流れてしまったように聞こえる」や「あのシーンであのモンスターがなぜか出てきてしまっている」のはやはりデザインされたものだという確信が持てた。違和感に気づいてほしい設計だった。

でも、多くの観客の方は作品を台無しにして、しかも自分に共犯者のような年を抱かせた真犯人を捜しただろう。監督である。

 

そしてここまで書いて、よく見ていると気づける明示的な追加キャラがいたらどうしようとか思ったので、もう1回くらい見に行きたい感じ。結局誰なんだろう。追加キャラ。

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